2013/04/28

(Pure experience Requiem ピュア・エクスぺリエンス・レクイエム)




Shoes / Shoegaze(27cm)

--- Model   T187cm   W 63kg   size( )

 

 

<解説>

「我思う故に我あり」というルネ・デカルトの言葉が表す主客二元論を基にした西洋哲学の考え方。

当然のことながらその思考は常に人間目線である。そんな主観と客観の対立から出発する哲学を超えた哲学が日本に存在する。日本を代表する哲学者である西田幾多朗が初期に提唱した「純粋経験」(Pure experience ピュア・エクスぺリエンス) である。


例えば、満開の桜を見て「綺麗な桜だ」と思う前に「好きな何か」と感じる、その一瞬の感覚が純粋経験。桜をサクラと思慮分別してしまった時は(Pure experience ピュア・エクスぺリエンス)「直観」は終わり、皆同じ感覚でそれが桜であることのみ信じて疑わない。

なんとなくの存在を明確にするためルールを決める。その道筋で学問や政治が成立する。そしてそれを基に社会が形成される。哲学とはその逆で、決まったことを時に懐疑的に、時に自然的に本質を考える事であり矛盾を孕みながらも正しいものの見方をする為の考え方。

そして東洋的な西田哲学は自分の事より他人の事、故に「無」という超中立的立場からのアプローチであり、その中立視点からの、決まっているかのように思える事が全てではないと思える「センス」。その考え方こそが哲学そのものである!

そして、唐突であるが(Pure experience ピュア・エクスぺリエンス)「直観」にはその先があった。

桜をサクラと思慮分別した時点ですでに「反省」となる。その「直観」と「反省」の永遠なる繰り返しを全盛期における西田哲学では「自覚」と表現するが、我々はこう呼ぶ・・。


(Pure experience Requiem ピュア・エクスぺリエンス・レクイエム)

終わりのない始まりの繰り返し


プロダクトにおいて、朗読者のように登場人物になり替わり物語は伝えるが主観が無く、あくまでも中立的な立場から全体に関わり、常に「直観」と「反省」を繰り返す。

「無」という超中立的立場からのアプローチによりデザイン、素材、特性や普遍性が交わり合い、製作におけるプロセスの段階で少し前に立ち返るようにしてアップデートを繰り返す。それは普遍を再構築しながら洗練してゆく代謝のような性質を持つ。そうして少しづつ積み重ねて形作ってゆくのである。

様々な構成要素はバランスよく撹拌され、とても着やすいが、個性も感じ着用の度に新しい発見があるほどの情報量を擁する。シンプルなものほど込められた情報量が増大する傾向があるとも云われている。





こうして出来上がったものは現在における完成形といえるが、我々が全力を注ぐのは形作るプロセス迄。それ以降お客様の手に渡ってからはその人なりの着方やライフスタイルに溶け込んでいけなければ意味がない。

そして時代や風潮によりアイテムを取り巻くムードは変化して行くため、また新たにゼロから「終わりのない始まりの繰り返し」を実践するのである。

「直観」と「反省」によりその時々のベストは異なる。1つ完成しても又時間の経過とともにその時に新しい1つが生み出される構造のもとではデザインの安易な焼き直しとは無縁である。

良いものを作るためベストを尽くす。それにははじめからやり直す労を惜しまない。そしてそれを基本姿勢になっている様。

これが(Pure experience Requiem ピュア・エクスぺリエンス・レクイエム)終わりのない始まりの繰り返し、によるプロダクトである。


 




※ウイットです 



 

 


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